メンバーによる座談会

​2016年4月14日と16日、立て続けに発生した熊本での大きな地震。その地震により、大規模半壊となって自宅を取り壊し、現在は仮設住宅に住む西田夫妻。

 

Team-Kはこれまで5回以上に渡って西田さんのところを訪れ、ゆっくりとお話を聞かせて頂いたり、食事をしたり、物資をお渡しするなどして交流を深めて来ました。

 

都度の報告はツイッターを中心に私たちもして来ましたが、文字制限などもあり、しっかりと現地の声や当時の状況などについて、しっかりと伝えてくる事が出来ませんでした。

 

そういった歯がゆい思いを西田夫妻にお伝えしたところ「Team-Kさんのお力になれるのであれば」と、こうしたインタビューの掲載に理解を示してくれました。

 

2017年2月27日、間も無く発生から1年を迎える現在の心境について、お話をする事が出来たので、皆様にお伝えしたいと思います。それぞれで感じることや思うところは違うかもしれませんが、何かを考えたり行動するきっかけになれば幸いです。

熊本県嘉島町から見えた夕日

(​2017年2月27日撮影)

ーまず、4月14日からもうすぐ1年が経ちます。振り返ってみて、この1年は本当に大変なことの連続だったことと思いますが、いかがでしょうか?

もうあの時はとにかく怖かったり不安だった。そこから何もかも無くなって、家族も調子が悪くなって、もうあっという間に過ぎたという感じ。あのときの気持ちが時間が立つにつれ少しずつ薄れてきたような気がするし、嫌な記憶は薄れていくもんだなという気持ちもある。もう何もかもがなくなった。私たちは幸いにも命だけは助かった。全部なくなってみると、物欲もなくなり、何もなくなったように思うけど、笑ってなくちゃと思うようにもなった。

 

ー当時、地震が起きた時の状況について、詳しく教えてください。

外出先から帰ってきて、2人でお茶飲んで寝ようとしたところで地震がきたのを覚えている。九州は大きな地震なんてほとんど経験した事がない人たちばっかりだったから、その時は本当に「死ぬ」って思った。

 

ー家族の方はどのような状況でしたか?

私と旦那はとにかくびっくりして立ち上がれない状況だった。しばらくして、隣の部屋の母親を見に行ってビックリしました。避難の準備ができていて、すでにリュックを背負ってました。「さて、どこへ避難したらいいんだ?」って言うもんだから感心しましたね。聞いてみたら、いつ何が起きても良いようにと、常にベッドの下に避難用のリュックを1つ準備していたらしい。そういう準備があるとないとでは、同じ混乱状況においても心の余裕は違ってくるなと改めて勉強させられました。

 

ー前震の揺れが落ち着いた後の動きを教えてください。

戸締りが全然できてなかったため、母親を親戚の家に預けたあと、家に帰ってがれきなどの片付けをしていた。たしか、その時点では避難所の情報などは出ていなかったと思う。ネットを見ない世代の私たちにとって情報源は公民館や役場などに貼り出されている紙などだった。

 

ーそのあと、16日に本震と言われている大きな揺れが来たわけですけども。

15日の夜に電気が復旧したため、みんな安心して部屋に戻って寝た人が多かったと思う。私達は家屋倒壊の恐怖心があったため、リビングに布団を敷いて靴を準備して、避難の準備もして、懐中電灯も枕元に置いて寝たのを覚えている。

ー揺れはどういった感じだったでしょうか?

寝ていたら、下から突き上げてくるような猛烈な揺れだった。縦揺れで、体が縦に弾んでしまうような感じだった。とにかく長い揺れだった。3分近かったと思う。

 

ー地震が起きている時、1番印象に残ったことは?

周りの家屋や自分たちの家が倒れる「音」が本当にとてつもない音でした。トラウマになっています。そのため屋内にいることに恐怖を感じて、そこから2ヶ月間は車中泊をして生活をしました。体育館や避難所なども、倒壊や照明の落下などを考えるとちょっと怖くて。。。あとはどこの避難所もけっこう人で溢れていて、とても「居よう」と思える状況ではなかったので、私たちは車中泊を選びました。

仮設入居直後に訪問した際の写真

左から古家奈々さん(Team-Kメンバー)、西田さんのお母様、西田さん

ー車中泊はどこでしていましたか?

今仮設が建っている場所で車中泊をしていました。他にも20台くらい車中泊していたような気がします。もちろん、ここにいると行政や国の動きなどが全く情報が入ってこなかったので、定期的に役場や避難所の貼り紙を見にいっていた。そこに、物資が来る事や健康についての注意事項などが貼り出されていて、日々の動きを確認していた。

 

ー車中泊で困ったことはなんですか?

避難所に届けられる支援物資は、体育館の人たちは登録されて「○○家は○人家族だから物資が○つ」と管理されていたが、私たちは車中泊だったので、取りに行かなければ届かなかくて。。食料がとにかく不足していたけど、車中泊をしているもの同士で助け合いながら毎日を過ごしていた。漬物を持って来てくれる人や、家に余ってた下着をくれる人もいて、大変な毎日だったけど、本当に皆で助け合って生活できていたと思う。

ー衣類はどうしてましたか?

自分たちの家に行って、衣類を確保しました。家具も倒れちゃったんだけど、下着とか衣類が入った棚が地震の揺れで飛び出した状態で家具が倒れたため、棚が支えとなって斜めになった状態で止まっていた。だから下着類の棚も、棚が飛び出したままだったので、取り出すのは奇跡的に楽だったかもしれない。ストックしてあった新品の衣類は周りの足りていない人などに配ったり、場合によっては物々交換をしたりしていた。とにかく「心の貧乏には、なってたまるか!」と思いながら暮らしていました。

ー避難生活で体調を崩された方はいましたか?

体調を崩して救急車が来る事は結構あったように思う。震災直後は、まだまだ体育館での衛生管理が整っていなかったから。土足でみんな出入りしてしまうし、その地べたに赤十字さんなどが寄付してくれた布団を敷いていたから。でも当時は本当にそんなこと考える余裕もなかった。肺炎になってしまったという人を何人も見かけた。その中には知り合いの人も多くいた。

 

ー何か、車中泊のことで印象に残っていることは他にありますか?

車中泊でクルマの燃料がなくなって、ガソリンスタンドにいったら、農家の人が自分たちの野菜を配っていました。「このままでは腐ってしまうから」というんです。もうその時は体に野菜を補給していなかったので、すごくうれしかったのを覚えていますし、その時の味が一生忘れられないんですよね。「あぁ、こんな美味しく感じられるんだ!」と思いましたね。だから、少し落ち着いて来た頃に、今度はその野菜をいっぱい買いに行ったの。もらってばかりじゃなくて、今度は少しでもその農家のためになりたいと思っていっぱい買った。これで少しでもお互い様になるなって思えました。

左から副代表安斎、西田さん、島田菜々さん(Team-Kメンバー)

​2016年12月22日撮影

左から松田純子さん、島田菜々さん(Team-Kメンバー)、西田夫妻、お母様

​2017年2月27日撮影

西田さんのご家族は、家がなくなり、家族も大きな病気にかかり、住宅再建のめども立っていない。それでも「生きていられるだけ幸せだと思って笑っていたい」と笑顔で話していたのが印象的でした。

 

後編は、仮設転居後〜現在についてのインタビューをお届けします。

編集:石原

​写真:松村、石原

​文章:島田

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